こんにちは、皆様お花見行かれましたか?今年は桜の時期に雨が続いてすぐに散った様な感じがしました。私は福岡県朝倉郡の「秋月」に家族で行ったものの、小雨が降っていたため歩きながら少し眺めただけでした。それでも「黒門」辺りまで歩きましたが通りの両サイドに桜が咲き「桜のトンネル」の様な素敵な風景でしたよ。来年は晴天だと嬉しいな。

人の死って何だろう
この仕事をやっていて思うことが様々あります。その一つ「人の死」については毎回考えさせられます。私たちは、故人の「人生の跡」を看取ると言う表現で合っているか分かりませんが、人生が在った跡を清掃・片付けをするのです。空っぽになった空間は、ただただ「ぽかーん」としています。引っ越し等で空っぽになる状態とまた違う空間と言いますか。なんと言いますか火葬の後の様な「いなくなったんだなぁ」に近い寂しい感覚です。そこでどんなにお部屋の状況が悪くても出来るだけ写真や身分証明、手紙などを探し出したいと思うのです。少しでも繋がりのある方に覚えていて欲しいというか忘れて欲しくないといいますか……もちろん遺族がいないケースも有りますし、そんなもの残されても困る、なんて事もあります。ただ、誰も故人を知らない・覚えてない・忘れ去られた状態になってしまうと「本当の意味で人の死」になる様な気がしてしまうのです。だからお墓だったり遺影・お位牌で残し、偲んだりを代々続けていくのかな。

私たちの仕事は「立ち会いのない・看取られない」ひっそりと死を迎えた方の最後の片付けを行います。特に、誰にも看取られず息を引き取り、誰も故人を偲ばない、無かったことになってしまう様な状態は寂しいなぁと。もちろん個人的な意見ですし、宗教的な考えも持ち合わせていません、ただの私の感傷です。
「死」は生き物すべてに訪れるものでしょう、しかし最後のあり方を選べる事はそう多くは無いと思います。事故や病気はもちろん、自分で命を絶つ方も落胆や失望、何かしらに迫られて「選んだ」よりもそうなってしまったと感じます。そもそも自身の望む最後などはあるのでしょうか……。
私はまだまだ最後など望めません! ですが、いつかは私にも死を迎える時が必ず来ます。その時、少しでも偲んで貰えるそういう自分で在りたいです、それではまた。